老後に何をする? 少子化対策、婚外子に市民権を
愛のあるSEX? SEXをリードされたがる男たち
内視鏡はカプセル時代 中高年理想の「出会い系サイト」
夫婦のセックスレス 女性のオーガズム



「不倫の心得TOP」



★女性のオーガズム 以前からセックスの専門家たちが解説する女性のオーガズムに違和感を持っていた。大雑把にいえば膣や子宮の神経は極めて鈍いので、感じるのはクリトリスですという話なのだが経験上は筆者は違う答えを持っていた。
クリトリスの性感は子供じみていて、精々オナニー向きだろうという感慨があった。しかし、誰でも感じるクリトリスをオーガズムの性感帯としておけば、バカでも誰でも一人でもオーガズムが味わえるという点で嘘ではないが本当でもない怪しげな答えが独り歩きし、クリトリスオーガズム派を構成するようになった。
また女性の方もクリトリスを刺激することで快感があるので、これがオーガズム?と思い込んでみたり、それにしては巷で言われるほど凄い快感でもないとがっかりもしているようだ。しかしアンケートなどにはオーガズムを知っていると回答するところが面白い。
そもそも男の射精という一目瞭然なオーガズムに比べ、女性のオーガズムは内向きなので傍からはどの程度の快感なのか測り知ることが出来ない。その快感を説明するにも稚拙な日本語能力に頼るので、訳がわからないことになる。
筆者は経験則だが、クリトリスは前戯のツールであり、ペニスの挿入とバギナおよび子宮頸部の快感が本当のオーガズムだと確信している。この辺が専門家とギャップがあり市井研究者としては靄がかかっていた。しかし、昨年、今年とハイテクを駆使した観察研究のレポートが発表され、やっぱりという安堵と女性のオーガズム論争があらためて始まる予感をおぼえる。
女性がイクということはセックスによってオーガズムが得られるかどうかということだ。オーガズムの肉体的現象は1966年にマスターズ&ジョンソン博士夫妻の研究であきらかになったのだが、その時のホルモン分泌状況や視床下部など脳がどのような状況になっているかまで研究は及んではない。ところが夫妻の研究以降、女性のオーガズムについてこれといった目ざましい研究結果は発表されていないのが現実なのである。
ここ数年、ようやくfMRIやPETなど最先端機器を利用して、オーガズム時の脳の活動領域や抑制領域の観察が盛んになってきた。これらハイテクのおかげで骨盤・子宮・子宮頸部・膣にも神経(迷走神経)があることが判明した。女性のこれらの部位の性感が存在するという科学的証明により、神経の無い膣でオーガズムを感じるのは変だという考えの根拠はなくなった。
クリトリスの快感は末梢神経が受け持ち、膣や子宮の快感は迷走神経が受け持つという図式が考えられるようになったのは兆足の進歩といえる。なおかつ、この迷走神経という神経は脊髄系(末梢神経)と異なる神経経路を持っていて、膣・子宮・骨盤・横隔膜・腹部・胸部を経由して、脊髄の外側を沿うように走っているので、「膣の奥で感じる」「子宮が揺さぶられる」「お腹の底から快感が」「頭がしびれる」「一瞬気絶する」等と表現された女性の膣や子宮でのオーガズムの正体は迷走神経にあったのだと膝を叩いて納得できるわけである。この迷走神経を調べてみると医学的に「失神」を惹き起すのもこの神経のなせる業とか、もうひとつ満足な傍証を得た。
おそらくここ数年以内に「クリ派&膣派」の論争にもケリがつくものと思われる。ただ現実には、クリトリスで得たオーガズムと膣で得たオーガズムの区別を女性たちが明確に分けて表現できるかどうかは疑問だ。
筆者の経験則評価からいくと、クリトリスは前戯の延長最終章であり、愛液が滲みだしペニスを受け入れる態勢を整える快感と捉えている。勿論そこまでの快感でもオーガズムと言えないことはないし、そう思い込んでいる女性が大半かもしれない。科学的事実よりもセックスにおいては、その女性が満足している快感の範囲でオーガズムと思う方が平和だともいえる。なぜなら、膣や子宮で感じるオーガズムを女性が経験するには多くの条件が整う必要がるからだ。これらの条件を満たせるセックスカップルは20%程度かもしれないので、専門家としては多くの女性が体感できるクリトリスオーガズムをオーガズムだと語る可能性は高い。
ただクリトリスオーガズムを欧米で奨励した歴史的経緯を検証してみると、ウーマンリブ運動(現在ではフェミニズム)と重なる形で起きている。つまり、女性のオーガズムにペニスは要らない、自分のクリトリスをマスターベーションすれば完結するという女性の権利・思想的たくらみが含まれていることは記憶しておいた方がいい。
最後に膣オーガズムを体験できる可能性が高い男女の条件を記しておく。
女性側の条件:1人のセックスパートナーと数年にわたりセックスを数多く経験している又は出産していること。セックスパートナーに対し、心から受け入れる信頼を持っている。クリトリスの快感の枠から一歩前進したい性的好奇心があること。
男性側の条件:セックスは女性を感じさせるものであって自分の射精は二の次だと思っていること。勃起の硬度が充分であること。勃起の持続が30分程度は出来ること。勃起時14センチ程度の長さがあることなど。
上記の男女の条件が整い、セックスを素直に誠実に愉しむ時、膣や子宮でのオーガズムが経験できる。現実にはこの程度の条件が揃うセックスカップルは意外に少数である。
特に男性側のセックスに対する目標が射精という一極に集中しがちであり、オーガズムに関係ない「潮吹き」などにこだわるAVハウツーでセックスを学ぶようでは、お先は真っ暗である。ただ最近の家庭環境においてはセックスライフの地位が低下しているので、それほど重要な問題ではないのかもしれない


★老後に何をする? 私事だが昨年義母が亡くなった。その結果、兄弟姉妹は残された義父の扱いに大苦戦、しみじみどころの気分ではなかった。幸か不幸か義父が脱水症状で入院、この機会を逃すは末代の恥とばかりに強行突破、ピカピカの優良有料老人ホームに無事入居と相成った。口にこそ出さないが、ご本人も痛く満足な様子で目出度し目出度しということだった。
そんな騒動が一段落してみると、急に自分の老後どうなるのだろうかと考え出した。先ずはどのように生きるかという問題が最も重要ではある。これは大丈夫だろう、人間ライフワークが決まっていると、その辺は考える必要がないので有りがたい。兎に角、書く事なら何でも良いのだから(笑)時には金にならなくても、自分の考えを文字にする事が生甲斐なのだから楽な事である。
ちなみに世間に人気のある老後というものを調べてみると、「健康で長生き」が大前提のようだが、それ以外は・・・
お金があったらヤリタイことNO1は、国内旅行、海外旅行、次が家のリフォーム。
老後の趣味になるとパソコン・インターネット、写真、楽器演奏、ゴルフ、習い事などらしい。周りの70歳以降の人々を眺めてみると、お遍路さん、山登り、盆栽、ガーデニング、家庭菜園、たべ歩き等などだ。しかし圧倒的に多いのが、テレビを意味もなく眺め、散歩したり孫の相手をして一日を過しているようなのだ。
さてさて、55歳の男が言うと顰蹙をかいそなのだが、こんな老後の時間の過し方は虚しさだらけに思えて仕方がない。ただこういうアンケートの場合、回答を選択させるケースが多いのでツマラン答えが多いという事も顧慮すべきなのだろ。おそらく倫理に反するような選択肢自体がないのだろう。愛人を持つなんて選択がないのだろう(笑)
例えば俺が5年後に定年を迎えたと仮定して、上記のような「やりたいこと」「趣味」は絶対にしないと断言できる。
まず列車・飛行機の旅は煙草が吸えないのでお断り、60歳でバリアフリーなんて考えるかね?それに本当に歩けない痛いだと、誤魔化しの手すり程度では役に立たない。趣味でパソコンって意味も判らん、あれは仕事でイヤイヤ使うものだろう。ネットサーフィンですか、いい加減な情報に惑わされるばかり、日がな一日通販なんかしてたら身上潰すよ(笑)もしネット利用するとしたら、ネエチャンや人妻探しの出会い位のものだが、60歳では可能性は相当低くなるな。
ここまで考えて思ったのだが、老後ってのは幾つからなのだろう?法律・条令などを見ていくと、60歳65歳、70歳の3っが考えられるが、どうも70歳という支持が多いようだ。筆者も70歳が老人への入口だと考える。そうなると、60歳から69歳は単なる中年ということになるのだが、多くは会社を追い出されるという不条理な社会構造なのが問題だ。65歳まで定年延長と謳い文句は良いのだが、給料半減、職責も外されるようだ。
身体は元気、体力も精力もある。なのに毎日が日曜日、これは大変だ。定年後も働きたいという人が多い理由は経済的事情もさることながら、時間を消費出来ない恐怖のようなものも影響しているのだろう。
考えてみると、サラリーマンとして生きることがライフワークだった人にとって、ワークするところから追い出されるのだから、目標を見失うのは当然かもしれない。それに付け焼刃の趣味程度がライフワークになる可能性はゼロに近い。
その点、職人や自営・自由業者は定年がないので、年齢で画一的に目標を失う心配は少ない。身体の続く限り、仕事の依頼がある限り、彼らはライフワークから見放される心配はないのだ。どうも老後のライフワークに関して問題なのは、サラリーマンの老後ということになりそうだ。
そう考えると、前述のようなアンケート結果も肯ける。企業があり、そこに仕事があったのだから、そのふたつがなくなってしまってやることが見つからない事情は同情に値する。
ライフワークなんていらんよ、もう何もしたくない。そういう人も多いだろうが消化ゲームのために健康への意識だけが増殖され、「元気で長生きが美徳」という風潮も社会全体としては迷惑ともいえる(笑)正直60,70の手習いで覚えた趣味の領域をライフワークだと主張されても困りもので、場合によると周りが迷惑するだけというこもある。下手糞な絵や俳句などを送られて往生したり、場合によるとフラダンスやコーラスグループの発表会に呼ばれでもしたら、眼も当てられないじゃないか(笑)ライフワークは無理にしても、回りの人間に迷惑の掛からない趣味の範囲にしてもらいたいものだ。ひとりで黙々、精々夫婦までで愉しんで貰いたいものだ。
さて、それでは俺はどうするかという事だが、仕事の依頼がある限り、書き続けるということになる。つまり70歳過ぎても依頼さえあれば現役という事だ。日々仕事がある幸せを感じられるという事だ。気が向いたら、新しいサイトを幾つも作る楽しみも出来る。スクラップ&ビルドで制作するのも面白い。アフィリエイトの恩恵も馬鹿には出来ないだろう?年金よりは稼げるかも(笑)
それと金があったら何をする・・・やはり女だね〜(笑)65,70歳そりゃ限りなく可能性の低い挑戦になるだろうが、オスである以上最後までだ!その為には乗ってる車もプリウスでは駄目だな、ポルシェじゃろう(笑)清潔にも注意が必要だし、お洒落もそれなりだ。開き直った瞬間に人間ってのは老いる、見る見る老いるものだ。
最も懸念するのは勃起不全、これはなんとも悩ましい問題だ。これだけは心頭滅却しても駄目だろう(笑)先ずはED治療薬に頼る。次にホルモン補充、次が強制勃起注入。多分現状の方法でも80までは大丈夫だろう。しかし、5年後くらいには視床下部の性中枢を直接刺激する勃起薬が開発発売される情報もあるので、あまり心配していない(笑)
しかし、問題はあるな〜。80歳の男とネンゴロになってくれる女性が居るだろうか?ここが多分重大な問題だ。そりゃ70のバアサンがというのは考えられるが、どう考えても俺の欲望を満足させてくれるとは思えない。最高に妥協しても55歳くらいまで?しかし50歳越えると女性はそういうこと以外の嗜好に走る傾向が強くなるので、やはり45歳くらい?あぁ参った!これは重大な壁にぶち当たった。俺が可能ということと、対象となる市場がマッチしないじゃないか・・・。
結局、頭と指が動く限り書き続ける、それだけになるのかも?そう考えると偉そうに言ったライフワークも大したことはないような気になってしまう(笑)
やれやれ、老後の過し方ってのは難題だね。そうとう環境的に恵まれている俺でさえ、どこか憂鬱になる。考えたくもない気にもなるのは当然か〜。逆に明日の生活費をどうする?という切実な悩みがある方が苦しいだろうが生甲斐があるのかもしれない・・・・・・


★少子化対策、婚外子に市民権を 少子高齢化が叫ばれて久しい。この問題は主に国家の成長力と財政の側面で好ましくないから、何とか対策しようという政治家と役人によって推進されている。これを後押しするのが、判で押したような考えに偏る審議会の名前だけ有名なコンサバ人種である。その結果、「少子化対策基本推進方針」「新エンゼルプラン」「少子化対策プラスワン」なる愚にもつかない対策が実行されている。そしてそれをあざ笑うように、出生率は年々悪化の一途を辿っているのだ。この計画を立案実行しているのが、こともあろうに悪名高き「厚生労働省」だということは、とても面白い。吉本の乗りに近いような気がする。
これら対策の骨子を眺めてみると、こりゃ駄目だと馬鹿でも気づく内容なのが又凄い。すべてにケチをつけるのも面倒なので、掻い摘んでケチをつけておこう。
初めに結論を話してしまえば、現在子供を産める世代の夫婦。これから結婚、夫婦となり子供を産むであろう人々に期待を滲ませる少子化対策は無意味であり、有効性に欠けるとと同時に個人の自由の侵害でもある。現代の夫婦という単位でしか子供を産んではいけない、夫婦という家族単位で子供を増やすという歴史に執着しすぎているのが問題だ。この世は倫理も道徳も地に落ちていると認識しているにも関わらず、少子化対策だけは「三丁目の夕日」の時代が続いていると思い込んでいる。夫婦の間に生まれてこそ子供であり、日本人なのだなんて考えを妄信しているということだ。
この問題の解決は晩婚未婚の女性の「妊娠・出産・子育て」をドラスティックに推進することが最も有効な解決策だと言えるだろ。社会人口構成の混乱だとか、倫理に反するだとか、今更そんなこと言い出すようではこの問題は永遠に解決しない。勿論移民の受け入れなども議論の対象となり得るが、先ずはシングルマザー選択の推進が決め手だということだ。

駄目な対策とケチ
*男親の育児休暇
 企業の協力が不可欠。国際競争に勝とうと闘う日本企業にその機運はないだろう。出来るのは役人たちと一部の大企業に限られる。(多くの大企業もその気はない)まして、90%以上を占める中小零細企業がそのような事をされたら企業生命の危機である。

*仕事と子育ての両立
 前述同様の理由で子育てに理解を示せるのは役人達の世界の絵空事、禁煙推進とは訳が違う。こと母親というもの「子供第一主義」は生理的問題であり、そのような女性に仕事の両立などとセコイ考えを押してつけるのは酷である。また、そういう女性(母親)を正社員で雇えと命令されても、企業が気の毒。

*保育サービス
 待機児童の解消は現状困っている夫婦の救いにはなるだろう。しかし、現状の子育てと仕事が楽になるというだけで、次なる子供を産むという話とは別の問題である。子育て夫婦の生活支援ということであり、少子化対策ではない。

*地域の協力
 核家族化が蔓延し、他人の存在を無視する家族単位の幸せだけを考えている現在の夫婦に地域が協力するというのも絵空事。ナント馬鹿な若夫婦が増えたものだと苦々しく思う人種は増える一方だというのに綺麗ごとに過ぎる。現実は童話の世界ではないのだ。

*不妊治療
 まぁこれは協力しても良いだろうが、可能性が低い人に期待するというのは、対策とは意味を異にする。

*児童手当、補助金等
 3人目から、高額補助(例:月額十万)などを導入すれば一定の効果は期待できるが、限定的であろう。何故なら、彼らは二人育てたら充分という意識が強いと思われる。まして、これからの日本、そして世界、地球に将来があるのか不安な気持ちが蔓延しているのに、3人4人があり得るだろうか?稀に子沢山も居るのだが、例外だから目立つに過ぎない。

以上ケチをつけてみたが、昭和60年頃の日本人がゾンビのように復活しない限り、これら対策は時代に即応していないと断言できる。
 現在の核家族という社会構成においては「子育て」は夫婦への負担が大きい。彼らは子育ての知識が乏しい中で、制約の多い子育てマニュアルの呪縛に会っている。まして、夫婦だから子供の為に人生の半分以上が犠牲になるのは当然だという考えも持っていない。職を失いたくない、家も欲しい、車も欲しい、レストランにも行きたい、映画も観たい、ゲームもしたい、海外旅行もしたい、美味しいものも食べたい、ディズニーランドも行きたい、ショッピングもしたい。つまり、「したいしたい症候群」の彼らが育児マニュアルに毒されるのだから、子供は二人が限界と考えるのは当然である。何を餌に蒔こうが子作りに向かって踊ることはない。
 では何処に少子化の対策のメスを入れれば良いのだろうか?非常に単純な答えがある。一人乃至は二人の子供が居る夫婦に、もう一人いかがですか?という対策はおそらく予算の無駄遣いになるだろう。単に彼らの生活を豊かにしてやったという結果はあるだろうが、子供は絶対に増えない。子供を増やすには、ゼロを1にする事が重要だ。
 つまり、30代になっても結婚していない、したくない女性たちへの「子供を産む」機運を盛り上げる事がポイントになるだろう。いわゆるシングルマザー容認、推進というムードを盛り上げる事が出来るかどうかがわが国の少子化対策の決め手なのだろう。子供は夫婦という単位で産み育てるという倫理観や常識に捉われている限り、子供は絶対に増えないと言い切れる。それを容認する世の中にしていく勇気がないのなら、少子化は改善できないという腹を括るべきである。財政面だけで考えるなら、高齢者医療の見直しを徹底するとか、移民導入に踏み込むべきだろう。
しかし、文化の先進には子供を産み育てる機運の低下はつきもの、やはり異なった「子供を産む社会構造」に目を向けるしかないのだろう。
先進諸国で出生率が高い国の婚外子割合はスウェーデン55%、フランス48%、イギリス43%、アメリカ37%を見ても歴然としている。我が日本の婚外子割合はナント2%なのを考えると、ここに足を踏み込まない限り、対策らしい対策はなく、税金の無駄遣い、厚生労働省役人の仕事の為の仕事を作らせるに過ぎないということになる。
婚外子による少子化対策は世の中に混乱を来たすという考えもあるだろうが、上記の国家が特別わが国以上に混乱しているとは思えない。やれば出来る、ただ今までの考えに固執している人間たちによって対策が練られているのが問題なのだろう。
 不倫はけしからん!しかし、生まれた子供はお国の宝。母親が育てるなら、全面的に助けますよ。そういうメッセージが送れる政治家は居るだろうか?居ないだろうが、案外票に繋がることもあるのでは・・・


★夫婦のセックスレス 最近の調査によると3,40代男性の勃起不全(ED)が急激に増えているらしい。以前書いた「SEXをリードされたがる男たち」にも困ったものだが、勃起しないというのはもっと困る。ED治療薬を発売している製薬会社などのデータと大学病院などのデータをあわせて読むと3,40代の潜在患者数は500万人近い数になる。この中には性行為の途中で勃起が萎えるものも含まれる。
原因の多くはストレスによるものと簡単に片付けられ、勃起治療薬を処方される。治療を望んだ多くの男性は処方された治療薬で改善する。しかし、ここで問題になるのが勃起不全を放置してしまう男たちが非常に多いことだと専門医たちは指摘する。推定患者数が500万人として、病院で診察を受ける患者は2割程度と考えられている。
つまり統計上、残りの400万人の男たちは自分の勃起不全に何ら手を打っていないことになる。おそらく現実には個人輸入のルートを使って100万人くらいは自己判断で対処しているとして、300万人は自分の勃起不全を放置していることになる。
単純に考えると、この300万人の男性は性行為に充分な勃起が得られないのだから、当然セックスレスになる。セックスレスは勃起不全が原因になる事が多いが、他の要因(時間が無い、他の趣味に没頭、家族の間でセックスはしたくない等)で夫婦やカップルの間でセックスをほとんどしなくなっている現状もあるようだ。
そうなると3,40代夫婦の20%近くがセックスレスという数字は肯ける。4,50代という調査では30%という数字が出ていた。このデータは性科学会が定義するセックスレス「1ヶ月に1回も性行為しない」よりも甘い基準「半年以内に夫婦でSEXしましたか」という基準での話である。つまり3組の夫婦がいたら一組はセックスレスだということだ。
たしかに夫婦関係がセックスだけで円滑になるという保証はない。核家族がここまで行き渡ると、厳しい世の中を行き抜く生活体としての家族意識の方が優先するのかもしれない。子供も含めて相互の人格を認め合う現在の家族という観念においては、夫婦間のセックスが重要視されなくなっているのか。また自分以外との関わりに関心の少ない世代が中心になってきたことも影響しているだろう。
夫婦のセックスというものは、生殖、コミュニケーション、快感の3要素があるわけだが、生殖は何とかなるが、セックスでコミュニケーションとなるとイキナリ自信を失くす旦那が多いようである。夫婦におけるセックスの快感もお互いに快感があって初めて快感なわけで、旦那が自分勝手に射精して快感だ!といっても成立しないものである。第二のコミュニケーションという目的までをぶち壊しているともいえる。
最近の妻は女の快感というものが、身勝手な旦那とのセックスで得られるわけがないと、諦めている節もある。当然旦那の好き勝手な性行為に異論は挟んでいるだろうが、それ程前向きに直す旦那も少ない。それなら妻の方も寝たほうがましだという心境にいたるのだろう。
つまり、3,4,50代夫婦のセックスレスが30%台である事に何の不思議もないことになる。まぁ子供の二人も育てていれば、生殖の目的も果たしているので先ずは合格といえる。ただ、予定外の妊娠、折角だから産もうという分がなくなるので、その分出生率には悪影響があるだろう。
実はこのデータには隠されたショッキングな現実があることを旦那達は知る必要がある。11月22日が「いいふうふ・良い夫婦」とうことで、各社のアンケートが実施されている。ここでハッキリしていることは、旦那は妻への依存度が高く信じている傾向が顕著。それに比べて、妻は旦那に冷ややかな目を向けている傾向が顕著なことだ。
H大学の調査によると、セックスレスで離婚を考えた妻は40%なのに、旦那達は離婚を考えた男はゼロなのだそうだ。日本の文化は旦那がセックスをしたいという意志からセックスが始まるパターンが多いので、妻から「今夜しようよ」とは中々言い出せないようである。逆に言い出す妻も居るだろうが、男の生理は、その言葉は萎える原因にまで至る。
人妻喰いで活躍中のA氏に尋ねたところ、セックスレス妻の70%は性欲を持て余しているという。最近は女性のオナニーを勧める情報も多いので、多くは当面オナニーで凌ぐようである。しかし、これは潜在的に男を持求めていることなので、機会の問題だけになる。
ただ妻たちのセックスしたい男への要求が厳しいので、顕在化していないだけだろうという。それでも、おそらくだが3,40代妻の50%はセックスレス云々に関わらず、浮気願望がある。現実に実行しているのは10人に2人、2割程度だろう。ただしセックスレス夫婦に限ると、この確率は5割になるのではという答えだった。セックスレス夫婦の場合表面的に仲は良いのだが、とりもなおさず旦那が妻への興味を失っているということだ。だから激しく揉めることもないかわりに、妻の行動への疑いさえ持たないらしい。
まぁそれでも疑念も持たず、喧嘩もせず夫婦関係が家族という名の下で成立するのなら、それはそれで良いのかもしれない。知らぬは亭主ばかりなりとは己の怠慢から出た錆と諦めるのも選択である。一見仲の良い家族、これは仲の良い夫婦あってのものという日本の家族像は崩れ去っているのかもしれない。
この妻の不貞が将来身を滅ぼすかというとそういう事はない。妻には都合の良いことに更年期と閉経が必ず訪れる。妻たちの多くは、この折り返し地点で貞淑なオバサンに変身するのだそうだ。上手く出来ている(笑)
反論として、旦那の方もそれなりに不貞をするのではという疑問があるが、現実はそう簡単ではない。3,4代の妻が友達募集と旗を立てれば、群衆が押し寄せるが、金と力のない中年男が旗を立てても、先ず手を挙げてくれる女性は居ない。原則、妻の不貞は経済的負担はゼロ、旦那の不貞はサラリーマンの小遣いでは足が出るようになっている。さらにだ、この踏んだり蹴ったりの目に会った上にだ、熟年離婚などといわれた日には目も当てられないのではないだろうか。
そうならないためには亭主は何をすればいいのだろうか?先ずはセックスレスの解消に努力すべきだろう。自分本位の性欲一辺倒のセックスから脱却すべきだろう。自分の妻がオーガズムに至っているかどうか確認すべきだ。よく話し合うなどと書いてある解説書が多いが非現実的だ。日本の夫婦にはそのような教訓は無理、絵に書いた餅である。亭主が己の感覚で感じれば判ることである。
しかし、上記の方法を選択できる旦那達は既にそういう風にしているだろうから、残った亭主族は幸運を祈るという手段しか残されていないのかもしれない。
A氏の言葉によると、不倫する妻たちの多くは、一時の冒険とトキメキと割り切っているので、尾を引くことは少ないそうだ。数年もすると、何事もなかったように貞淑な妻に戻るそうである。このことが救いというのも情けないが、救いがないよりもましである



中高年理想の「出会い系サイト」  最近男たちの間で、出会い系サイトの話題がめっきりと少なくなった。リストラの嵐、そしてその余波を受けた4,50代の男たちにとって、それどころではないのかもしれない。
子供の教育問題の上に、年金問題や老後の介護問題。年功序列、右肩上がりの給与体系、それらに何の保証もなくなった今、4,50代サラリーマンにとってメル友ゲットする気分にはなれないのだろうか?まして、そのメル友と不倫関係まで発展するなど思う暇もなく、金もないのが実体なのかもしれない。たしかに、不倫関係になれるのは有りがたいが男女均等の世の割にはデート代は男持ち、オヤジジイの小遣いでは、早晩底が見えてしまう。
こういう風に考えれば、昨今の出会い系が不人気になったのも肯ける。しかし、よくよく聞いていくうちに、違う事実が出てきた。それが「出会い系サイト」の質の低下だそうだ。
有料無料の別なくサクラが居るのは上等な部類で、女性或いは男性が一切存在しない「出会い系サイト」が蔓延しているのだそうだ(笑)「撃ちあいのない西部劇」(古い!)「紹介されない結婚相談所」なのだそうだ。
そんなものに騙されて入会する者は居ないだろうと思うのだが、これが登録して暫らく経たないと判らないのがミソのようである。どうも、自動応答プログラムが数万円程度でレンタルされるようになって劇的に、このような詐欺紛いの「出会い系サイト」が増えてしまったらしい。
これは絶対に出会えない、相手はプログラムだけなのだから。トップページとか一部カスタマイズ出来るので、全てが同じように見えないのも混乱に拍車をかけたようだ。
一部大手は自前でその詐欺「出会い系サイト」プログラムを制作、大手の広告代理店と結託?してアフィリエイトをしている。アフィリエイトに個人サイト管理人は「出会い評価」などと銘打って、ちょうちん記事を書きまくる(笑)
これではメル友、飲み友、彼女の欲しい中高年の足が遠のくのは当然である。出会い好きな友に言わせると、どれほど返事がなくても「エキサイトフレンド」が未だに最高の「メル友出会いサイト」なのだそうだ。
そこで、そのシステムや利用方法などを確認してみたが、さすがに「エキサイトフレンド」では一部の個性的中高年以外、見向きもされないであろうという可能性が見えてきた。
それでは「中高年にとって理想の出会い系サイト」というものはどのようなサイトなのだろうか?暇に任せて考えてみた。

「中高年理想の出会い系サイト案」(笑)
オヤジジイ(45歳〜65歳)にとって理想の出会いサイトとはどういうものなのだろ?
このサイトの趣旨としてはメル友から出会える友達、そして場合によっては男女の関係(不倫関係)になれるような出会いサイトを想定する。
エキサイトフレンドがメジャーになれた理由として、ポータルサイトを持つ信頼ある企業が運営しているという前提がある。しかし、現実には知名度のある企業の参加は相当の難問で、誠実にコツコツと初期の立ち上げ作業をすることも考えなければいけない。
要はリアルな男女が間違いなく居る事実と、その運営が実体ある企業がによって管理されている事でも良いのかもしれない。実体ある企業とその企業紹介が参加するユーザーに理解されれば、現状の「出会い系サイト」の運営企業の幽霊度に比べれば、相当有利である(笑)
月額定額、クレジット決済のみ。(月額は申し込み日から30日有効、自動継続)利用料金は男性月額使用料1000円、女性は月額使用料300円(クレジットで最低身分確認のため)に設定、出来る限り男女比を2:1程度のレベルで構成したいものである。
参加者の年齢制限は男性は40歳以上、女性は20歳以上が妥当と考えるが、あくまで自己申告の範囲とする。(現実に確認作業は無理)
男女とも新規申し込みの一日送信数を20通までに限定、業者の参入を極力低下させる。
個人情報の入力は男性は生年月日、住んでる町、職業、趣味、詳細体型、星座、血液型、既婚未婚、年収、一言アピール、相手に望むこと。
女性は生年月、住んでる地域、職業、趣味、体型、星座、血液型、既婚未婚、一言アピール、相手に望むこと。
ここまで考えてみて、最も重要な事に気づいた。40歳以上のオヤジジばかりが待ち受ける出会い系サイトに果たして女性が入会登録してくれるだろうかということだ。(笑)まして、身分確認としてクレジット決済は欠かせない、300円は月々払って貰うしかない。
まぁ考えてみると、まともな運営をしているサイトでも中高年は出会い系では苦労している。この理想のサイトでもやはり苦労はしてもらうしかないのだろう(笑)
女性にしても、必ずしも2,30代の男性が絶対的好みとは限らない。30代後半から40代後半までの女性が年上を望めば、オヤジジは当てはまる。参加女性の数に幾分の不安はあるが、それはそれで良いのである。評判が評判を呼ぶ、誠実なサイト運営があれば、これは実現するような気がする。
少々長くなったが、コラムというよりレポートという感じになってしまった。どこぞの誰かが、このコラムを読んでハタと膝を叩き、「中高年理想の出会い系サイト」を実現してくれる事を祈っている(笑)


★内視鏡はカプセル時代  暗黒の臓器といわれていた小腸の検査にカプセルタイプ内視鏡が導入された。原因不明の消化器出血などの検査に有効だといわれている。カプセル内に埋め込まれたカメラが腹部につけたセンサーに小腸内の画像を送り、外部のハードディスクに記録される仕組みだ。患者は直径11ミリ、長さ26ミリのカプセルを飲み込むだけ、カプセルは最終的に便と一緒に排出されることになる。
今後は胃や大腸など消化器すべてを検査できるカプセル内視鏡に展開する方向だという。この情報に接した瞬間、「ミクロの決死隊」というSF映画を連想した。たしか恋人の病気を救うべく、ミクロに変身した医者が恋人の体内に潜入、めでたく病気を治療したのだが、恋人の体内からの脱出で苦境に立たされ難儀するのだが、最終的には恋人の放屁によって無事帰還するという筋書だったと記憶している。
このSF映画に似たような医学の進歩があるのだと思うと同時に、その他の様々な検査の苦痛やリスクも早いところ解決して欲しいという贅沢な期待も生まれてくる。このカプセルも針型マイクロマシンと合体すれば、カプセルを飲むだけで患部のレザー治療まで出来るのではないだろうかなど、期待は尽きない。
苦しい検査といえば、真っ先に浮かぶのが胃カメラだ。このカプセル内視鏡の近い将来像から考えて、涙鼻水に嘔吐感からの解放は素晴らしい。検査結果が胃炎のみなどと言われると、安心もさることながら、その程度の病気にしては検査が苦しすぎると腹立たしくも思う。カメラが小さくなり、管も細くはなっているが、苦しいことに変わりない。
肺機能検査というヤツも血圧の高い人々には容易な検査ではないと思う。あれは正常な俺でも目眩がした。昔の肺活量計測の按配とは数段違う、肺の中のすべてを吐き出せ、あれはおそらく練習を重ねると数値が上がるような気がする。
腹部超音波、つまりエコーってヤツも必要以上に押し付けるので苦しいぞ。もそっとなぞる様に優しく出来るだろうが!
最悪は気管支内視鏡だね。何てったって気管支に管を入れるのだから、想像しただけでむせて吐き気を模様す。気管支にカプセルは無理だな、気管支だから物質を挿管するというのが土台野蛮だ。何らかの気体を吸い込むことで、気管支内部を撮影出来る方法を是非開発してもらいたい。
先輩の話によると、膀胱鏡が最悪だと言っている。多くの手術後に尿道カテーテルで排尿されるだけでも痛いってのに、7ミリもある金属棒を尿道に差し込む、これはほとんど拷問の世界だそうである。尿道カテーテルの経験者の中には性的興奮を憶える人種が出てくるらしいが、尿道鏡は明らかに拷問器具だと彼は断言していた。最近は膀胱ファイバーという柔軟性に富んだ内視鏡も出てきたが、設置している病院は限られている。
どうも泌尿器科の診察には伝統的に多少野蛮が横行している気がする(笑)おそらく性病の治療からスタートした経緯が影響しているのではないだろうか?エエ事した咎めじゃ、痛いくらい我慢せいって感じで綿棒を尿道に突き入れるんだよな。泌尿器科の検査治療は歴史からの離脱が必要な気がする。
カテーテルによる血管造影となると、もうこれは検査というより一大イベントに近い。まだまだ俺の知らない、あらゆる疾患において患者を苦しませる検査はあるに違いない。
考えるに、苦痛な検査故に検査を躊躇う人々は意外に多いのではないだろうか。すべてがCT、MRI、PET、血液検査などのように苦痛を伴わない検査であれば、人々はもっと前向きに検査を受け、早期発見に努力するような気がする。
大病院などでは、あらゆる検査方法があるがために、必要以上の検査を強いる傾向もある。同じような結果を導く検査を別途行い、新鋭医療器械の償却を急ぐ姿も見られる。
例えば「ガン」の確定診断には検査の定見が既に出来上がっているので、手順が概ねハッキリしていて素人にも判りやすい。ところが「ガン」から一歩離れた「ガンの疑い」の症状となると、検査のマニュアルがないのが現状。
担当医やその病院の経営方針によって、患者が検査に振舞わされ、生活の質を落とし、経済的な困窮に陥る場合もある。最近つくづく思うのだが、「ガン」以外の腫瘍などの確定診断はほとんど研究されていないのではないだろうか?と疑いたくなる現状もある。
そして、最終的には判らんから取っておきますか、それとも経過観察にしますかって事になる。患者としてみれば、おいおい半年調べた答えがそれかよ、だったら余計なもの見つけるんじゃねえよ。つい愚痴のひとつも言いたくなる。
理想は血液とリンパ液の検査とPETですべてが判明できるような、検査方法を確立してもらいたいものだ。そうすることで、医療費も格段に低下するに違いない。明確に判断できる病気の治療方法はそれなりに見えてきている。
問題はその症状がどのような病気なのか明確に確定出来ないグレーゾーン症状が問題なようだ。ガン以外の病気の検査を、苦しみ痛みの無い方向で確立する事がこれからの検査の急務ではないだろうか?正直、手術の方が検査よりも期間的に早く、経済的に安くて、苦しみも少ないとなると、これは心情的に納得し難い


SEXをリードされたがる男たち  先日「日経WOMAN」の白書を読んでいて、やっぱりそうなんだという感想を持った。白書によると、イマドキ男のセックスに対する自信のなさが歴然としている事が判った。
まず男がセックスを「リードしなければいけない」のが苦痛だと思っている。その事自体がプレッシャーになるという。どのようにしてエッチに持ち込んで良いのか分らないらしい。つまりホテルに誘うとか、自室でエッチモードに持ち込む方法が分らないということのようだ。
また、仮にエッチモードになったのは良いが男主導で、どうやって服を脱がせるか、風呂には一緒に入ったとしてどうすれば良いのだろうか?
そこまで何とか上手く行ったとして、どうやって女性を歓ばせれば良いのか皆目見当もつかないと嘆く。女性から求められ、行為中もリードして貰えたらどれほど助かるか、イマドキ男はそんなことまで望んでいるようだ。
イマドキ男としては「受身であれば傷つかない」という思いがあるらしい。結局は「相手を満足させられるセックスが出来るとは思っていない」その為の防御本能が働くようである。女性が何を求めているか分らないので、単純な行為をひたすらすることになり、自分とのセックスを楽しんでくれているのか不安になるらしい。出来たら「セックスでも懐の深い大人の女性にリードしてもらいたい」(つまり母親のように何処までも慈愛に満ちた女性)ということのようだ。
このような男たちの誕生は他者とのかかわりを拒否することが根底にあるようだ。自分が変わるのが怖いといういびつな21世紀的若者の意識を見ることができる。自分が変わらないで居る為には、受身でいることが大変重要な条件のようである。
このような男と結婚したとしても、子供は出来る。しかし、夫婦のコミュニケーションは齟齬を来たす危険は大きい。30代後半からの夫婦のセックスレスは当然の現象になるだろ。既に30代の20%近くの夫婦がセックスレスだというデータもある。夫はAVやロリータ系の写真集などでマスターベーションを行い、妻側も自分で性欲を処理する手段を講じることになる。
人妻との不倫に詳しい人物A氏に聞いてみると、子供が小学校高学年になり子育てが一段落した時、妻はパートに出るとか自分の趣味を見出したりと、昔馴染んでいた世間という世界に戻って行くのだそうだ。この時点が、ママでしかなかった妻が先祖帰り(女)になる瞬間だという。
そんな状態の人妻に、優しく接する感性の似通った男が現れたりすると、これはもう時間の問題で不倫が発生する可能性が高いらしい。
A氏が言うには、こういう状況の人妻の多くは、夫が自分のことを女として扱っていない不満を持っている。家族としては仲は良いのだが、男女としての会話はほとんど無いという。
このままおばあちゃんになってしまうの?このまま何もしないでいるということは、お定まりのオバチャンロードをまっしぐらに歩く自分が想像できてしまう。しかし、最近の人妻たちはセックスに関する快感情報を知っており、セックスに関してAVと風俗程度の知識しかない幼稚な夫との温度差は大きい。
まして女性の生理的終焉まで後十年、こうしてはいられないというか、そういう淋しく哀しい気分に襲われる人妻が現れるのはごく自然である。
わたしも女としては、秋に差しかかったのだという思いはつのるであろう。勿論、だからといって全員が前向きに不倫相手を探すとは思えない。ただ何となく少女時代のような夢想の世界を持つようだ。
出来ることなら、夫と再び愛を語り、愛し合い、深い快感まで至りたいと思うのだが、夫の意欲が同じレベルになることは稀なようである。こうして、人妻は世間を何とはなしに彷徨うことになる。不倫に走ってしまう環境は現在の日本の夫婦関係に潜在的にあるようだ。
だからといってその都度、家庭が崩壊することもないようである。特に妻を家政婦的立場に追い込んでいる夫は、まず気づかないそうである。意外に子供が気づく心配をする人妻が多いらしい。
おそらく、今現在の40歳前後の人妻がそうであるとするなら、これから先何が起きるか恐ろしい絵図が浮かんでくる。
人間同士の関係の希薄さは世間に止まらず、家族内にも浸透していくのだろう。最近の2,30代の男たちは、冒頭で述べたようにSEXや恋愛に前向きではない。しかし、女の方はどんどん前向きな傾向があり、それらが40代前後を迎えたときは、前向き度はピークを迎える。どういう世界というかマーケットが展開されるのだろ?
概ね後十年、俺であれば65歳。何とかギリギリの肉体を維持しているだろうか?いや相当に無理がある。やはり55歳くらいの男と40歳の人妻の図式は変わらないのか?いや違うな、40歳前後の人妻と20代の男という図式の方がリアルかもしれない。
もう俺たちは消え去るのみか〜。少々寂しい気もするがこの世は順番、潔く消えるのみだ(笑)A氏などは、「大丈夫だ。今度は脳に効く勃起薬が開発されるはず」と息巻いていた(笑)しかしね〜、一部だけ元気溌剌でも、他が皺くちゃでは様にならない(笑)


★愛のあるSEX?  世間には、「愛のあるSEX」「愛のないSEX」というSEXの善悪を判断する基準がある。「愛」という極めて難解・曖昧な言葉が基準値であるにも関わらず、根強い支持を受けている。男女の90%近くが、何らかのかたちでこの基準を容認している。哲学の貧困が叫ばれる中で、ここでは「愛」という概念だけは、いとも容易く、人々に受入れられている。このことが、大変不思議である。
仮に、ここににおいての「愛」の概念が哲学的でないとするならば、それはそれでいい。しかし、それならそれで、SEXにおいての「愛」ってのは、どのようなものなのか、気になってくる。
性の専門家、相談回答者、カウンセラーなどが平気で「愛のあるSEX」だという。こういう時の「愛」ってのはどんなものを指すのか俺には判らない。「愛」という概念を哲学、社会学、心理学などの学問領域で考えるだけでも容易ではない。とてもコラムで片付けられる問題ではない。その上、それら学問領域でも「愛」の定義は定まっていない。つまり、「愛」というものは、本当ははっきりと定義できない情操であり、その定義すら難解な、正体不明な言葉であり、人間の行為の善悪を律することは出鱈目に近いのではないのか?
「愛のあるSEX」という言葉が持つ響きが、広く人々に受入れられたのは理解できる。
「愛がない」よりも随分マシな感じだ。しかし、「愛がある」というのはあまりにも甘すぎる言葉で、子供騙しな言葉でもある。
たしかに男女が恋愛するには相思相愛が重要な要素だろう。相思相愛の度合いにバラツキはあるだろうが、一応そういうことになる。
例え後になって、愛していたと思ったのは間違いだとか、実は身体だけ愛されていたとか反省はあるだろうが、その時は愛されている、愛しているという同等の精神的対価交換が存在している。
相手に愛されているかどうか、あらゆる方法で双方は確認をしているはずである。例えそれが錯覚であっても、確認は直感も含めて確認しているものだ。
そういう意味では、SEXにおける「愛」は等価交換されるのが理想だといえるだろう。
一般に「愛のあるSEX」が必要だという議論は、主に男女のSEXの出発点で起きる議論なわけで、夫婦間での「愛のある」ウンヌンは話題にすらならない。
「愛のある」は「許される」という市民感覚は、性文化の近代における抑圧という歴史背景からの解放から生み出された言葉でもある。
この耳障りのいい言葉によって、婚前交渉が認知されるようになったし、結婚を前提としないSEXも「愛」さえあれば「許される」に発展した。そういう意味で、日本のSEX事情を大きく変えた功績は認めよう。
しかし、結局のところ、どうにでも解釈出来る「愛」という言葉によって、極端な言い方をすれば、どのような状況も「愛」だと強弁する都合のよい環境を男女に与えたともいえる。
高校生同士でも「愛してさえいれば」エッチはOKの時代の幕を開けてしまった。最近は中学生にまで広がる勢いである。筆者はだからといって、若年世代のエッチを頭から否定するつもりは毛頭ない。無責任に言えば、個人の勝手である。
若年者の経験者は必ずと言っていいほど、「二人は愛し合ってます」という言葉を口にする。免罪符のように聞きかじりのこの言葉を弄する。しかし、彼らの愛を否定する根拠もない。当事者は多分本当に愛し合っていると思っているわけで、余人がどうこう判断できるものではない。大人だって似たりよったりなのだから。
つまり、良かれ悪しかれ「愛のあるSEX」という言葉は既に予想外の方向に走り出していることになる。
教育機関で性的問題に直面している人の中には、「愛あるSEX」という言葉が誤解を招いていると指摘している者もいる。出来れば「思いやりのあるセックス」とか「責任の取れるSEX」とか、そんな言葉に変えた方がいいのではと、答えている。
実は大人の世界にも「愛のあるSEX」性善説への疑問がある。少なくはなったが「お見合い制度」というのは、「愛のあるSEX」になるのだろうかという疑問である。
社会的に調和の取れた男女を出会わせ、結婚することを誘導するわけだが、その経緯を見る限り、「愛」が育ってから「SEX」をしているかどうか、相当に疑問である。
見合いの後、数回のデートで双方承諾の有無を仲人に知らせる。次に結納、そして結婚である。昔と違い、その承諾の有無は自由だが、「愛」が育つたという状況には疑問が残る。
「いいえ、我々は愛し合ったから承諾したのです」との反論も聞かれるだろうが、第三者的には納得出来ない。見合においては、承諾さえすればセックスが原則保証されているのだから、愛してるからSEXした分類に入れることには抵抗がある。
この場合「愛あるSEX」ではなく「手続きを経たSEX」というべきである。いい意味での等価交換SEXだという考えにも一理ある。また社会構造上、子供を産み育てる男女という社会的地位によって手に入れた免罪符のようでもある。
また、愛もへったくれもない、お互いその日はヤリタカッタからSEXに至った。終電もないし、タクシー代ももったいないから、仕方なく泊まったら迫ってきたので、まあイイカくらいの気持でセックスしてしまった場合でも、そこから愛に発展する場合もあるだろう。このような場合は「愛のないSEX」から「愛のあるSEX」に移行するわけで、初めは「愛のないSEX」だともいえる。
どうもこんな風に考えていくと、「愛あるSEX」なんて言葉は、大変な欺瞞なのではないかという事に至る。
そもそも、極めて個人的な問題である「SEX」を「愛」などといういい加減な言葉でお茶を濁したことから、間違いや誤解が拡大した考えられる。まして「いいSEX」「悪いSEX」も余計なお世話である。
SEXの原則は自己責任でいいのでしょう



「不倫の心得TOP」